玄洋社社員横山雄偉と金森国会図書館長にハマで出会う

「ドン・ブラウンと戦後の日本」展が横浜開港資料館で開催されている。
(10月30日まで。リンクは「思い出のHP」にあります。)
 
ドン・ブラウンは1930年来日したジャーナリストで、戦後は、GHQの一員
として再来日し、民間情報教育局(CIE)情報課長をつとめた人物。
 
『雑誌で読む戦後史』(木本至著)には、検閲の元締めとして登場する
らしいが、未見。
(追記:有隣堂のPR誌「有鄰」第453号によると、「情報課長時代、
ブラウンが直接関与したことで一番多いのが、用紙割当問題です。それに
続いて外国映画の許可、検閲。それから外国文献の翻訳の認可。これ
らが主なものだったよう」である。そういえば、仙花紙の見本も展示してあっ
た。ちなみに、今回の展示の一般向けの目玉は、戦時中の対日宣伝ビラ
みたい。)
 
展覧会には、1949年11月30日、赤坂の国会図書館で総司令部
民間情報局長代理ブラウンからケア物資の図書が贈呈される写真が
展示されていて、金森国会図書館長が写っていた。
「ケア物資」ってなんだろう?
「ララ物資」なら聞いたことがあるが。
 
もう一枚おもしろい写真があった。
1932年8月31日、友人の横山研一や、早稲田大学のバード夫妻
らととともに、茅ヶ崎館で撮影された写真。研一の父は、玄洋社社員
横山雄偉といい、ブラウンの情報源の一つでもあったという。(横山は、
広田弘毅とともに腰弁当で上京した仲らしい。詳しくは、
有隣堂『図説ドン・ブラウンと昭和の日本』参照)
 
戦後、A級戦犯で逮捕された横山が、旧知のブラウンがGHQの一員
として再来日したことを新聞で知り、獄中から妻にブラウンと会うよう伝
える獄中書簡も展示されている(1946年4月21日付け。娘が、
ブラウンと面会しているが、その甲斐があったのか、翌年釈放されている
とのこと)。
 
ちなみに、最近、ブラウンの墓が、三重県津市の四天王寺で発見され
たとのこと。
 
p.s. 「ドン・ブラウン年譜」(前掲書にも掲載)によると、昭和30年代、
   40年代にブラウンやブルーム(近年、初代CIA東京支局長だった
   ことがばれた人)といった日本通の人が、一誠堂書店によく通って
   いたとのこと。出典は、『古書肆100年』。どっかで聞いたことある
   本だすね。
 
   常設展の展示には、マッチラベルの復刻や、快楽亭ブラックの父の
   創刊した「日新真事誌」や「ジャパン・ガゼット」の複製も展示され
   ている。
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玄洋社社員横山雄偉と金森国会図書館長にハマで出会う への3件のフィードバック

  1. kappa より:

    ケア=care。気遣って贈られた物資かと思った。ララ物資は、ララさんが贈ったの?

  2. ジュンク堂の怪人 より:

    kappaさん:「ララ」とはアジア救済公認機関の頭文字を取ったもので「LARA」と書く、そうである。

  3. ちはる より:

    横山雄偉さんの息子さんの名前は隆一さんではありませんか?

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