大屋幸世の氏の『蒐集日誌』シリーズは毎日ブログとかで読むなら
まだしも、まとまって本で読むのはちとしんどいというのか、蒐集範囲
が異なる(特に俳書の話の部分)ので退屈だというべきか。
それでも、同書4をぱらぱら見てると、
修士論文を提出したその日、友人達と早稲田の通りを高田馬場
へ向かって歩いて行った。(中略)その帰りの途中、常にそうであるよ
うに古書店文献堂に入った。あのころの人文、社会科学関係の科
に通っていた者で、文献堂を知らぬ者はもぐりだと言っていい程、そ
の方面の本に満ちた古書店だった。いや古書店というより、新刊割
引の店と言った方がよかろう。(中略)私たちが大学院を去った十数
年後か、オートバイに乗っていて事故にあい、あえなく亡くなってしまっ
た。しばらく店は開いていたが、やがて閉店してしまった。私ども学生
の智の温床のような店だったから、何とも残念な交通事故死であっ
た。
場所は、いわゆる、「右側」の店だったのだろうか?
行ってみたかった店の一つ・・・
追記:例によって、厳しい谷沢永一氏の一言。『日本近代書誌学細見』
から。
大屋幸世の自称する蒐書とは、閑にあかして回遊魚のように
古書店を歴訪し、見つかった書物をいそいそと抱いて帰り、急
いで既成各種の書誌と突き合わせ、書誌に洩れている嬉しい
資料について、「蒐書日誌」にこってりと書き込んでゆく作業を
意味するらしい。あれだけせわしなく水すましのように書店を駈
けめぐっても、愛書家なら心得ている筈の常識さえ欠如してい
るではないか。(中略)
大屋幸世は書誌学者ではない。
うーん、相変わらずの辛口というのか、激辛だすね。もう少し穏やか
な言い方はできないものか?
右側って,どっちから見て?自慢じゃないがわちきも早稲田(の古本屋街)にはよく行ったぞ
書物奉行さん:もちろん、高田馬場から大学へ向かっての方向。文献堂って知ってる?
あわてて手許の『Bookman』no.21(1988.3)「特集・東京古本屋帝国ベスト店」を見ると,p.31-32に早稲田古書店街があり,「文献堂」は写真まで載ってる… でも憶えないなぁ。文献堂となりの「アカデミー書房」はたしかに行った憶えがある。「テレビは白痴箱」とかいう貼り紙があったんで(^-^;)当時のわちきは,じっくり2時間かけて早稲田古書店街を廻っていたんで,全部の店には行ったはずなんだけど…古書現世も写真入りで前の店舗(10mほど通り寄り)が。なつかしくて涙でてきた(;へ;)
書物奉行さん:「Bookman」って、ときどき書物奉行さんが言及するけれど未知の雑誌ですね。市販していたのだろうか?
文献堂で古書「大暴言」(三一書房)を購入したい。どうすればいいのか。電話番号を教えてほしいと思う。