山田珠樹街道をゆく

ちわみさんの「森茉莉街道をゆく」が休止中なので、このスキ(?)に「山田珠樹街道をゆく」をアップしてみよう。(追記:本日、再開されました。)
 
 
1 「館界接待」で結核になった山田珠樹司書官
 
 
中島健蔵『疾風怒涛の巻 回想の文学①』(昭和52年5月)に非常にオモロイ記述があった。
 
 
[昭和八年]七月七日、山田珠樹発病、「ろざりよ」なかまの尼子氏診察の結果、肺結核とのことで、大学病院稲田内科に入院ときまった。関東大震火災で潰滅した附属図書館の新築は、一九二八年(昭和三年)暮にできあがり、文学部の各研究室もその中に移転したが、厖大な図書の受入れと整備の実務は、大へんな労働だった。司書官の山田さんは、精力的にその処理に当たっていたが、職員慰労のやり方もはでだったらしい。その惰性もあって、夜の酒宴は、一応図書館の整理が片づいてもつづいていた。過労つづきの結果であろう。入院の直前に、図書館の司書官室に呼ばれて、二、三の使いを頼まれた。内容は忘れたが、一時ひどくなった乱行の後始末だった。山田さんには、ずいぶんさそい出されたが、当然わたくしの関知しない酒席もあったらしく、そういう時、わたくしの名が架空の相棒として利用されたこともあったと後に知った
 
 
こういうのは「官官接待」ならぬ「館界接待」と言うべきか?
 
 
 
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